
妙聲寺(みょうしょうじ)
○宗 派 浄土真宗本願寺派
○ところ 広島市西区南観音7丁目14番2号
○所属教区・組 安芸教区広陵西組
TEL(082)231-1883
FAX(082)234-1493
E−mail fujisawa@myoushouji.com
URL http://www.myoushouji.com
妙聲寺のネーミングのいわれについて
これについては、詳細は法話の中でお話しますが、仏陀(おさとりを開かれたおかた)の悟りの世界のみ声を、妙と表現します。妙とは不思議とも云いますが、そのみ声(南無阿弥陀仏)の意味を聞きに来てほしいという、妙聲寺建立(こんりゅう)を発願された初代住職・藤澤教聲(きょうしょう)の願いから付けられたネーミングです。僧職にある方は出典(『浄土論』・『往生論註』)と、その意味はお分かりでしょう。 また一般のお方には後々このホームページの中でお話致しましょう。御期待ください。
妙聲寺の歩み
○[原爆被爆の焼け野原に誕生]
1945年(昭和20年)8月6日、広島は原爆により被害をうけました。
それから5年後その復興途上にあり、しかも朝鮮戦争勃発の頃、1950年(昭和25年)・初代住職(当時広島真宗学寮第二代目学寮頭・浄土真宗本願寺派司教)藤澤教聲、そしてそれを助けた初代坊守藤澤いちの両名によって寺院建立を発願しました。
またそれに賛同された数多(あまた)の同朋同行がたの、尊い御報謝のこころざしによってその寺基は、現在の地に定められたのであります。
○[信者千人にのぼる]
その時賛同して報謝して頂いた同行同朋の数は、数千人(寄付台帳による)にのぼるのであります。
その代表世話人は、既に皆さん故人となられましたが、津田喜次郎・都川豊治・住村礼三・沖本三郎・川村祖吉・木村協・高橋精三・増尾静一・竹内義男・川野吉藏・森脇善嘉・松本昭人・中泉達二・(敬称略)のみなさん等枚挙に遑(いとま)の無いお世話人によって、着々と一寺建立の悲願に向かって進捗(しんちょく)しました。ようやく淨土眞宗本願寺派・広陵西組・所属の寺院として認められたのは、1954年(昭和29年)11月28日でありました。
ところが藤澤教聲は、妙聲寺を認可されて一週間後12月5日、布教先の北九州市門司区(旧小森江・現在矢筈町)教正寺において、突然の病にて逝去いたしましたが、前述の世話人方が中心となり翌年1955年(昭和30年)4月30日、仮本堂完成・落慶法要(寺院のお喜び行事)を執り行われたのであります。
初代住職(藤澤教聲・院号法名・論明院釈教聲)の後継は、長男・桂珠(けいじゅ)が二代目住職に就任して今日に至っているのであります。
○[伝導・教化活動]
以上の如く寺歴の浅い寺院ですが、妙聲寺護持のため仏教婦人会・仏教青年会併せて清風幼稚園(後に詳述する)等、多彩
な教化活動を行われてきました。それもこれもみな妙聲寺護持会員の、お念佛に生かされる力によるものでありましょう。ここにあらためて既に故人となられた方や、現在唯今総代・世話人としてお世話くだされておられるお方に、心からお礼を申し上げます。
○[ホームページ開設へ]
淨土眞宗のみのりの根幹である伝道教団の主旨に沿った聞法の道場として、平素は法座を開いたりして教化活動をしています。これからも一層の努力を致したいものと念願しており、それがこの度のホームページ開設の趣意でもあるわけでもあります。
一方、二代目住職・桂珠は住職を勤めながら、もう一方で伝道のために、西日本を中心に他の寺院に招かれ、法座の講師や、僧侶研修会など、浄土真宗教義の布教伝道のお手伝いをさせていただいて来ました。
また広島真宗学寮や、併設の広島仏教学院の教授として、毎週出向いて人材育成にも、力をそそいでいます。末長くこのホームページを、暖かい皆さんのお力添えで、お育て下さい。またみなさん方の良き法友として、共々に聞法いたしてまいります。そしてこのホームページが、法義伝道のみちしるべともなればと、念願致しています。